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原水爆禁止大会
呉基地調査行動に参加して - 市会議員 宮下奈美

※写真1:歴史の見える丘第二造船ドックと巨大クレーン
※写真1:歴史の見える丘第二造船ドックと巨大クレーン
私は8月4日から6日におこなわれた原水爆禁止2016年世界大会・広島の2日目、分科会の一つである「動く分科会、呉基地調査行動」に参加しました。

朝9時に広島駅で集合しバスで出発しました。海上自衛隊第13旅団・吉浦貯油所、ABCC(原爆障害者研究所)、灰ケ峰(呉基地望遠)、などを回り、午後は入船山記念館・総監部前(車窓)、歴史の見える丘、潜水隊前(アレイからす小島公園)、そして教育隊前(車窓)などを回りました。バスの中と現地で広島県平和委員会の話を聞きました。広島は被爆地ヒロシマをとりまいて日米軍事基地群が集中しています。呉基地を市域に含む呉市は広島市の東南、直線距離で約21キロメートルの距離にあります。また、広島市の東方約22キロメートル、呉市の東北約27キロメートルの位置には極東最大といわれる在日米軍呉基地弾薬庫群の中心、川上弾薬庫があります。そして岩国基地は広島市の西南、直線距離で約32キロメートル、呉市とは約31キロメートルの距離に位置しています。さらにこの岩国基地の北方には、広島県西北部(芸北地域)から山陰地方・日本海に抜ける航空自衛隊の「Q空域」と呼ばれる訓練空域があり、これと重なる地域を「共用」した「エリア567」と称する岩国基地の米海兵隊航空機の訓練空域が存在します。

見学した「歴史の見える丘」は、行ってすぐ眼に飛び込むのが第二造船ドックとその周辺の巨大クレーンです。これは石川島播磨重工業の工場であった時代を経て現在ジャパンマリンユナイテッド株式会社呉工場となっていますが、旧海軍工廠造船部跡地です。この左手のドックで戦艦大和を建造しました。そのドックの跡は現在も残っています。「大和のふるさと」とペンキ書きされた大屋根が見えますが(写真※1)、大和建造時にこの大屋根でドックを覆って、市民の眼から隠しました。一見してとても大きな場所です。普段埼玉県蕨市で生活する私としては異国の地に来たように感じ、同じ日本とは思えませんでした。

潜水隊前では、呉港の艦船は45隻にのぼり、呉基地はかつての艦艇保有数が1位であった横須賀基地を抜いて、近年は艦艇数で海上自衛隊最大の基地になっていることが説明されました。ここでは何隻も大きくて黒い艦船がものものしく並んでいるのが見えました。(写真※2)

この分科会で、米軍と自衛隊が、日本の防衛やアジアの平和を維持するためにあるのではく、巨大企業の市場と利益確保のために、核兵器を頂点とする軍事的な脅しを前提に据えた、アメリカの世界戦略にもとづいた日米同盟=日米安保条約体制に、自衛隊が組み込まれて活動しているのだということを実感しました。そして、日本が「戦争できる国づくり」を進めていることを考えると、米軍基地の縮小・撤去と憲法9条を守れの運動、核兵器全面禁止を一体として進めることが大切だと強く感じました。いろいろなことが学べた分科会でした。